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Bible in 90 Days

An intensive Bible reading plan that walks through the entire Bible in 90 days.
Duration: 88 days
Japanese Living Bible (JLB)
Version
マタイの福音書 5-15

山上の教え

1-2 ある日、大ぜいの人が集まって来たので、イエスは弟子たちを連れて山に登り、そこに腰をおろして、彼らにお教えになりました。

「心の貧しさを知る謙遜な人は幸いです。神の国はそういう人に与えられるからです。 悲しみ嘆いている人は幸いです。そういう人は慰められるからです。 柔和で高ぶらない人は幸いです。全世界はそういう人のものだからです。

神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸いです。そういう人の願いは完全にかなえられるからです。 親切であわれみ深い人は幸いです。そういう人はあわれみを受けるからです。 心のきよい人は幸いです。そういう人は親しく神とお会いできるからです。 平和をつくり出す人は幸いです。そういう人は神の子どもと呼ばれるからです。 10 神の御心に従ったために迫害されている人は幸いです。神の国はそういう人のものだからです。

11 わたしの弟子だというので、悪口を言われたり、迫害されたり、ありもしないことを言いふらされたりしたら、それはすばらしいことなのです。 12 喜びなさい。躍り上がって喜びなさい。天の国では、大きな報いが待っているからです。昔の預言者たちも、そのようにして迫害されたことを思い出しなさい。

13 あなたがたは地の塩です。もしあなたがたが塩けをなくしてしまったら、この世はどうなるでしょう。あなたがたも無用のものとして外に捨てられ、人々に踏みつけられてしまうのです。 14 あなたがたは世の光です。丘の上にある町は夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。 15-16 あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。

17 誤解してはいけません。わたしは、モーセの律法や預言者の教え(旧約聖書)を無効にするために来たのではありません。かえって、それを完成させ、ことごとく実現させるために来たのです。 18 よく言っておきますが、聖書にあるどんなおきても、その目的が完全に果たされるまで、無効になることはありません。 19 ですから、どんな小さいおきてでも、破ったり、また人に破るように教えたりする人は、天の国で最も小さい者となります。しかし、神のおきてを教え、また自分でもそれを実行する人は、天の国で偉大な者となります。

20 よく聞きなさい。パリサイ人や、ユダヤ人の指導者たちは、神のおきてを守っているのは自分たちだと言いはります。だが、彼ら以上に正しくなければ天国には入れません。

21 あなたがたの教えでは、『人を殺した者は、死刑に処す』とあります。 22 しかし、わたしはさらにこうつけ加えましょう。人に腹を立てるなら、たとえ相手が自分の家族であっても、裁判にかけられます。人をばか呼ばわりするなら、裁判所に引っぱり出されます。人をのろったりするなら、地獄の火に投げ込まれます。

23 ですから、神殿の祭壇に供え物をささげようとしている時、人に恨まれていることを思い出したら、 24 供え物はそのままにして、相手に会ってあやまり、仲直りをしなさい。神に供え物をささげるのはそのあとにしなさい。 25 あなたを告訴する人と、一刻も早く和解しなさい。裁判所に引っぱって行かれてからでは間に合いません。そうなったら、あなたは留置場に放り込まれ、 26 すべてを払い終えるまで、出て来られないでしょう。

27 あなたがたの教えでは、『姦淫してはならない』とあります。 28 しかし、だれでもみだらな思いで女性を見るなら、それだけでもう、心の中では姦淫したことになるのです。 29 ですから、もしあなたの目が情欲を引き起こすなら、その目をえぐり出して捨てなさい。体の一部を失っても、体全体が地獄に投げ込まれるより、よっぽどましです。 30 また、もしあなたの手が罪を犯させるなら、そんな手は切り捨てなさい。地獄に落ちるより、そのほうがどんなによいでしょう。

31 また、あなたがたの教えでは、『離縁状を手渡すだけで、妻を離縁できる』とあります。 32 しかし、わたしは言いましょう。だれでも、不倫以外の理由で妻を離縁するなら、その女性が再婚した場合、彼女にも、彼女と結婚する相手にも姦淫の罪を犯させることになるのです。

33 さらにあなたがたの教えでは、『いったん神に立てた誓いは、破ってはならない。どんなことがあっても、みな実行しなければならない』とあります。 34 しかし、わたしは言いましょう。どんな誓いも立ててはいけません。たとえ『天にかけて』と言っても、神に誓うのと同じです。天は神の王座だからです。 35 『地にかけて』と言ってもいけません。地は神の足台だからです。また『エルサレムにかけて』と言って誓ってもいけません。エルサレムは偉大な王である神の都だからです。 36 『私の頭にかけて』と言って誓ってもいけません。あなたがたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないからです。 37 だから、『はい、そうします』か、『いいえ、そうしません』とだけ言いなさい。それで十分です。誓いを立てることで約束を信じてもらおうとするのは、悪いことです。

38 あなたがたの教えでは、『人の目をえぐり出した者は、自分の目もえぐり出される。人の歯を折った者は、自分の歯も折られる』とあります。 39 しかし、わたしはあえて言いましょう。暴力に暴力で手向かってはいけません。もし右の頰をなぐられたら、左の頰も向けてやりなさい。 40 借金のかたに下着を取り上げようとする人には、上着もやりなさい。 41 荷物を一キロ先まで運べと命令されたら、二キロ先まで運んであげなさい。 42 『何か下さい』と頼む人には与え、借りに来た人を手ぶらで追い返さないようにしなさい。

43 『隣人を愛し、敵を憎め』とは、よく言われることです。 44 しかし、わたしは言います。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。 45 それこそ、天の父の子どもであるあなたがたに、ふさわしいことです。天の父は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせてくださいます。 46 自分を愛してくれる人だけを愛したからといって、取り立てて自慢できるでしょうか。悪人でも、そのくらいのことはしています。 47 気の合う友達とだけ親しくしたところで、ほかの人とどこが違うと言えるでしょう。神を信じなくても、そのくらいのことはだれでもします。 48 ですから、あなたがたは、天の父が完全であるように完全でありなさい。

人にほめられようと、人前で善行を見せびらかさないようにしなさい。そんなことをすれば、天の父から報いをいただけません。 貧しい人にお金や物を恵む時には、偽善者たちのように、そのことを大声で宣伝してはいけません。彼らは人目につくように、会堂や街頭で大げさに慈善行為をします。いいですか、よく言っておきますが、そういう人たちは、もうそれで、報いは受けているのです。 ですから、人に親切にする時は、右手が何をしているのか左手でさえ気づかないくらいに、こっそりとしなさい。 そうすれば、隠れたことはどんな小さなことでもご存じの天の父から、必ず報いがいただけます。

神に聞かれる祈り

ここで、祈りについて注意しておきましょう。人の見ている大通りや会堂で、さも信心深そうに祈って見せる偽善者のように祈ってはいけません。よく言っておきますが、そういう人たちは、もうそれで、報いを受けてしまったのです。 祈る時には、一人で部屋に閉じこもり、父なる神に祈りなさい。隠れたことはどんな小さなことでもご存じのあなたの父から、必ず報いがいただけます。

ほんとうの神を知らない人たちのように、同じ文句を何度も唱えてはいけません。彼らは、同じ文句をくり返しさえすれば、祈りが聞かれると思っているのです。

父なる神は、あなたがたに何が必要かを、あなたがたが祈る前からすでに、ご存じなのです。

ですから、こう祈りなさい。

『天におられるお父様。
あなたのきよい御名があがめられますように。
10 あなたの御国が来ますように。
天の御国でと同じように、この地上でも、
あなたの御心が行われますように。
11 私たちに必要な日々の食物を、
今日もお与えください。
12 私たちの罪をお赦しください。
私たちも、私たちに罪を犯す者を赦しました。
13 私たちを誘惑に会わせないように守り、
悪から救い出してください。アーメン。』

14 もしあなたがたが、自分に対して罪を犯した人を赦すなら、天の父も、あなたがたを赦してくださいます。

15 しかし、あなたがたが赦さないなら、天の父も、あなたがたを赦してくださいません。

16 次に断食についてですが、偽善者たちのような、人目につくやり方は避けなさい。彼らは、やつれた顔をわざと見せつけ、同情を買おうとします。よく言っておきますが、そういう人たちは、もうそれで、報いを受け取ってしまったのです。 17 断食をする時は、むしろ晴着をまといなさい。 18 そうすれば、だれもあなたが断食をしているとは気づかないでしょう。しかし、あなたの父は、どんなことでもご存じです。そして、報いてくださるのです。

19 財産を、この地上にたくわえてはいけません。地上では、損なわれたり、盗まれたりするからです。 20 財産は天にたくわえなさい。そこでは価値を失うこともないし、盗まれる心配もありません。 21 あなたの財産が天にあるなら、あなたの心もまた天にあるのです。

22 目が澄みきっているなら、あなたのたましいも輝いているはずです。 23 しかし、目が悪い考えや欲望でくもっているなら、あなたのたましいは暗闇の中にいるのです。その暗闇のなんと深いことでしょうか。

24 だれも、神とお金の両方に仕えることはできません。必ずどちらか一方を憎んで、他方を愛するからです。

25 ですから、食べ物や飲み物、着る物のことで心配してはいけません。いのちのほうが、何を食べ、何を着るかということより、ずっと大事です。 26 空の鳥を見なさい。食べ物の心配をしていますか。種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。

27 だいたい、どんなに心配したところで、自分のいのちを一瞬でも延ばすことができますか。

28 また、なぜ着る物の心配をするのですか。野に咲いているゆりの花を見なさい。着る物の心配などしていないでしょう。 29 それなのに、栄華をきわめたソロモンでさえ、この花ほど美しくは着飾っていませんでした。 30 今日は咲いていても、明日は枯れてしまう草花でさえ、神はこれほど心にかけてくださるのです。だとしたら、あなたがたのことは、なおさらよくしてくださらないでしょうか。ああ、信仰の薄い人たち。

31 ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。 32 ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。彼らは、それらがたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。しかし天の父は、それらがあなたがたに必要なことをよくご存じです。 33 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。

34 明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生きなさい。

人のあら探しをしてはいけません。自分もそうされないためです。 なぜなら、あなたがたが接するのと同じ態度で、相手も接してくるからです。 自分の目に大きなごみを入れたままで、どうして人の目にある、小さなちりを気にするのですか。 大きなごみが目をふさいで、自分がよく見えないというのに、どうして、『目にごみが入っている。取ってあげよう』などと言うのですか。 偽善者よ。まず自分の目から大きなごみを取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、人を助けることができます。

聖なるものを犬に与えてはいけません。真珠を豚にやってはいけません。豚は真珠を踏みつけ、向き直って、あなたがたに突っかかって来るでしょう。

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。 求める人はだれでも与えられ、捜す人はだれでも見つけ出します。戸をたたきさえすれば開けてもらえるのです。 パンをねだる子どもに、石ころを与える父親がいるでしょうか。 10 『魚が食べたい』と言う子どもに、蛇を与える父親がいるでしょうか。いるわけがありません。 11 罪深いあなたがたであっても、自分の子どもには良いものを与えたいと思うのです。それならなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良いものを下さらないはずがあるでしょうか。

12 人からしてほしいと思うことを、そのとおり、人にもしてあげなさい。これがモーセの律法の要約です。

天国への道は狭い

13 狭い門を通らなければ、天の国に入ることはできません。人を滅びに導く道は広く、多くの人がその楽な道を進み、広い門から入って行きます。 14 しかし、いのちに至る門は小さく、その道は狭いので、ほんのわずかな人しか見つけることができません。

15 偽教師たちに気をつけなさい。彼らは羊の毛皮をかぶった狼だから、あなたがたを引き裂いてしまうでしょう。 16 彼らの行いを見て、正体を見抜きなさい。ちょうど木を見分けるように。実を見れば、何の木かはっきりわかります。ぶどうといばら、いちじくとあざみとを見まちがえることなどありえません。 17 実を食べてみれば、どんな木かすぐにわかります。 18 おいしい実をつける木が、まずい実をつけるはずはないし、まずい実をつける木が、おいしい実をつけるはずもありません。 19 まずい実しかつけない木は、結局は切り倒され、焼き捨てられてしまいます。 20 木でも人でも、それを見分けるには、どんな実を結ぶかを見ればよいのです。

21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う人がみな、神の国に入れるわけではありません。天におられるわたしの父の御心に従う人だけが入れるのです。 22 最後の審判の時、多くの人が弁解するでしょう。『主よ、主よ。私たちは熱心に伝道しました。あなたのお名前を使って悪霊を追い出し、すばらしい奇跡を何度も行ったではありませんか。』 23 しかし、わたしはこう宣告します。『あなたがたのことは知らない。ここから出て行きなさい。あなたがたがしたのは悪いことばかりではありませんか。』

24 わたしの教えを聞いて、そのとおり忠実に実行する人はみな、堅い岩の上に家を建てる賢い人に似ています。 25 大雨が降り、大水が押し寄せ、大風が吹きつけても、その家はびくともしません。土台がしっかりしているからです。

26 反対に、わたしの教えを聞いても、それを無視する人は、砂の上に家を建てる愚かな人に似ています。 27 大雨、大水、大風が襲いかかると、その家はあとかたもなく、こわれてしまうからです。」

28 群衆は、イエスの教えに目をみはりました。 29 イエスの話し方が、どんなユダヤ人の指導者たちとも違っていたからです。

病気を治す

イエスが山を降りると、大ぜいの群衆がついて来ました。

その時です。ツァラアト(皮膚が冒され、汚れているとされた当時の疾患)の人が一人、イエスに駆け寄り、足もとにひれ伏しました。「先生。お願いですから、私を治してください。お気持ちひとつで、治すことがおできになるのですから。」

イエスはその男にさわり、「そうしてあげましょう。さあ、よくなりなさい」と言われました。するとたちまち、ツァラアトはあとかたもなくきれいに治ってしまいました。

「さあ、まっすぐ祭司のところに行き、体を調べてもらいなさい。モーセの律法にあるとおり、ツァラアトが治った時のささげ物をしなさい。完全に治ったことを人々の前で証明するのです。」

5-6 イエスがカペナウムの町に入られると、ローマ軍の隊長がやって来て、「先生。うちの若い召使が中風で苦しんでおります。とてもひどく、起き上がることもできません。どうか治してやってください。お願いします」としきりに頼みました。

「わかりました。では、行って治してあげましょう」とイエスは承知されました。

ところが、隊長の返事はこうでした。「先生。私には、あなたを家にお迎えするだけの資格はありません。わざわざ来ていただかなくても、ただこの場で、『治れ』と言ってくださるだけでけっこうです。そうすれば、召使は必ず治ります。 と申しますのは、私も上官に仕える身ですが、私の下にも部下が大ぜいおります。その一人に私が『行け』と言えば行きますし、『来い』と言えば来ます。また奴隷に『あれをやれ。これをやれ』と命じると、そのとおりにします。私にさえそんな権威があるのですから、先生の権威で、病気に『出て行け』とお命じになれば、必ず治るはずです。」

10 イエスはたいへん驚き、群衆のほうをふり向いて言われました。「これほど信仰深い人は、イスラエル中でも見たことがありません。 11 いいですか、皆さん。やがて、この人のような外国人がたくさん世界中からやって来て、神の国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに席に着くでしょう。 12 ところが、神の国はもともとイスラエル人のために準備されたのに、多くのイスラエル人が入りそこねて、外の暗闇に放り出され、泣いてくやしがることになるのです。」

13 それから、ローマ軍の隊長に、「さあ、家に帰りなさい。あなたの信じたとおりのことが起こっています」と言われました。そして、ちょうどその時刻、召使の病気はいやされていたのです。

14 イエスがペテロの家に行かれると、ペテロのしゅうとめが、高熱でうなされていました。 15 ところが、イエスがその手におさわりになると、たちまち熱がひき、彼女は起き出して、みんなの食事のしたくを始めました。

16 その夕方のことです。悪霊につかれた人たちが、イエスのところに連れて来られました。イエスがただひとことお命じになると、たちまち悪霊どもは逃げ出し、病人はみな治りました。 17 こうして、イエスについてイザヤが、「彼は、私たちの痛みを身に引き受け、私たちの病を負った」イザヤ53・4と預言したとおりになったのです。

嵐を静める

18 イエスは、自分を取り巻く群衆の数がだんだんふくれ上がっていくのに気づき、湖を渡る舟の手配を弟子たちにお命じになりました。

19 ちょうどその時、ユダヤ教の教師の一人が、「先生。あなたがどこへ行かれようと、ついてまいります」と申し出ました。

20 しかし、イエスは言われました。「きつねにも穴があり、鳥にも巣があります。しかし、メシヤ(救い主)のわたしには、自分の家はおろか、横になる所もありません。」

21 また、ある弟子は、「先生。ごいっしょするのは、父の葬式を終えてからにしたいのですが」と言いました。

22 けれどもイエスは、「いや、今いっしょに来なさい。死んだ人のことは、あとに残った者たちに任せておけばいいのです」とお答えになりました。

23 それから、イエスと弟子たちの一行は舟に乗り込み、湖を渡り始めました。 24 すると突然、激しい嵐になりました。舟は今にも、山のような大波にのまれそうです。ところが、イエスはぐっすり眠っておられました。

25 弟子たちはあわてて、イエスを揺り起こし、「主よ。お助けください。舟が沈みそうです」と叫びました。

26 するとイエスは、「そんなにこわがるとは、それでも神を信じているのですか」と答えると、ゆっくり立ち上がり、風と波をおしかりになりました。するとどうでしょう。嵐はぴたりとやみ、大なぎになったではありませんか。 27 弟子たちは恐ろしさのあまり、その場に座り込み、「なんというお方だろう。風や湖までが従うとは」と、ささやき合いました。

28 やがて、舟は湖の向こう岸に着きました。ガダラ人の住む地方です。と、そこに二人の男がやって来ました。実はこの二人は悪霊に取りつかれ、墓場をねぐらにしている人たちでした。何をされるかわかったものではないので、だれもそのあたりには近寄りませんでした。

29 二人は、イエスに向かって大声でわめき立てました。「おれたちをどうしようというんだ。確かに、おまえは神の子だ。だが、今はまだ、おれたちを苦しめる権利はないはずだ。」

30 ところで、ずっと向こうのほうでは、豚の群れが放し飼いになっていました。 31 そこで悪霊たちは、「もし、おれたちを追い出すのなら、あの豚の群れの中に入れてくれ」と頼みました。

32 イエスが、「よし、出て行け」とお命じになると、悪霊たちは男たちから出て、豚の中に入りました。そのとたん、豚の群れはまっしぐらに走りだし、湖めがけていっせいにがけを駆け降り、おぼれ死んでしまいました。 33 びっくりした豚飼いたちが近くの町に逃げ込み、事の一部始終を知らせると、 34 町中の者が押しかけ、「これ以上迷惑をかけてもらいたくないから、この地を立ち去ってくれ」とイエスに頼みました。

医者が必要なのはだれ?

それで、イエスは舟に乗り込み、ご自分の町カペナウムに帰られました。

そうこうするうち、数人の人が、中風の男を寝床に寝かせたまま運んで来ました。必ず治していただけると信じていたからです。イエスはこの人たちの信仰を見て、病人に、「さあ、元気を出しなさい。わたしがあなたの罪を赦したのですから」と言われました。

「なんと罰あたりなことばだ! まるで、自分が神だと言っているようなものではないか。」ユダヤ教の指導者のある者は、腹の中が煮えくり返る思いでした。

イエスは、彼らの心中を見抜いて、「なぜそんな悪いことを考えているのですか。 5-6 この人に『あなたの罪が赦されました』と言うのと、『起きて歩きなさい』と言うのと、どちらがやさしいですか。さあ、わたしに地上で罪を赦す権威があることを証明してみせましょう」と言い、向き直って、中風の男に命令なさいました。「さあ、起きて寝床をたたみ、家に帰りなさい。もう治ったのですから。」

すると男は飛び起き、家に帰って行きました。

この有様を目のあたりにした群衆は、恐ろしさのあまり震え上がり、このような権威を人にお与えになった神をあがめました。

イエスはそこを去り、道を進んで行かれました。途中、マタイという取税人が取税所に座っていたので、「来なさい。わたしの弟子になりなさい」と声をおかけになると、マタイはすぐ立ち上がり、あとについて行きました。

10 そのあと、イエスと弟子たちは、マタイの家で夕食をとることになり、取税人仲間や律法の規定を守らない人も大ぜい招かれました。

11 これを見たパリサイ人たちはかんかんになり、弟子たちに、「おまえたちの先生は、どうしてあのような者たちとつき合うのだ」と食ってかかりました。

12 イエスはこれを聞いて、「健康な人には医者はいりません。医者が必要なのは病人です」とお答えになり、 13 さらにこう続けました。「聖書に、『わたしが喜ぶのは、いけにえやささげ物ではなく、あなたがたがあわれみ深くなることである』ホセア6・6とあります。このほんとうの意味を、もう一度学んできなさい。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」

14 ある日、バプテスマのヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、尋ねました。「なぜ、先生の弟子たちは、私たちやパリサイ人のように断食しないのですか。」

15 するとイエスは、こうお話しになりました。「花婿の友達は、花婿がいっしょにいる間は、嘆き悲しんだり食事をしなかったりするでしょうか。しかし、やがて花婿のわたしが、彼らから引き離される日が来ます。その時こそ彼らは断食することになるでしょう。

16 水洗いしていない新しい布で、古い着物に継ぎ当てをする人がいるでしょうか。そんなことをしたら、当て布は縮んで着物を破り、穴はもっと大きくなるでしょう。 17 また、新しいぶどう酒を貯蔵するのに、古い皮袋を使う人がいるでしょうか。そんなことをしたら、古い皮袋は新しいぶどう酒の圧力で張り裂け、ぶどう酒はこぼれ、どちらもだいなしになってしまいます。新しいぶどう酒を貯蔵するには、新しい皮袋を使います。そうすれば両方とも長持ちするのです。」

18 このように話していると、町の会堂管理人が駆け込んで来ました。そしてイエスの前にひれ伏し、「先生。私の幼い娘がたったいま息を引き取りました。どうかおいでくださって、手を置いて、あの子を生き返らせてください」と訴えました。

19 そこでイエスと弟子たちは、彼の家へ向かいました。 20 その途中、十二年間も出血の止まらない病気で苦しんでいた一人の女が、人ごみにまぎれて、うしろからイエスの着物のふさにさわりました。 21 「このお方にさわるだけでも、きっと治る」と思ったからです。

22 イエスはふり向き、女に声をかけました。「さあ、勇気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治したのです。」この瞬間から、女はすっかりよくなりました。

23 さて、イエスが会堂管理人の家に着くと、人々であふれ返り、弔いの音楽が聞こえてきます。 24 そこでイエスは、「さあ、この人たちを外に出しなさい。娘さんは死んではいません。ただ眠っているだけです」と言われました。それを聞くと、みんなはイエスをあざ笑いました。

25 人々がみな出て行くと、イエスは少女の寝ている部屋に入り、その手を取りました。するとどうでしょう。少女はすぐに起き上がり、もとどおり元気になったのです。 26 このうわさはたちまち、その地方一帯に広まりました。

27 イエスが少女の家をあとにされると、二人の盲人が、「ダビデ王の子よ! あわれな私たちをお助けください」と叫びながらついて来ました。

28 そしてついに、イエスが泊まっておられる家にまで入り込んで来ました。イエスが、「わたしに目を開けることができると思いますか」とお尋ねになると、彼らは、「はい、もちろんです」と答えました。

29 そこでイエスは、二人の目にさわり、「あなたがたの信じるとおりになりなさい」と言われました。

30 すると、彼らの目が見えるようになったのです。「このことをだれにも話してはいけません」と、イエスはきびしくお命じになりましたが、 31 それでも彼らは、イエスのことを町中に言いふらしました。

32 この人たちと入れ替わりに、悪霊につかれてものが言えなくなった男が連れて来られました。 33 イエスが悪霊を追い出されると、その人はすぐに口をきき始めたので、みんなは驚きあきれ、「こんなことは、今まで見たことがない」と大声で言い合いました。

34 しかし、パリサイ人たちは、「あいつは、悪霊の王ベルゼブル(サタン)を使っているのだ。それで悪霊どもを簡単に追い出せるのだ」と言いました。

助けを求める人は多い

35 イエスはその地方の町や村をくまなく巡回し、ユダヤ人の会堂で教え、神の国についての福音を伝えられました。また、行く先々で、あらゆる病人を治されました。 36 このように、ご自分のところにやって来る群衆をごらんになって、イエスの心は深く痛みました。彼らは、かかえている問題が非常に大きいのに、どうしたらよいか、どこへ助けを求めたらよいかわからないのです。ちょうど、羊飼いのいない羊のようでした。

37 イエスは弟子たちに言われました。「収穫はたくさんあるのに、働く人があまりにも少ないのです。 38 ですから、収穫の主である神に祈りなさい。刈り入れの場にもっと多くの働き手を送ってくださるように願うのです。」

十二弟子

10 イエスは、十二人の弟子たちをそばに呼び寄せ、彼らに、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気を治す権威をお与えになりました。

2-4 その十二人の名前は次のとおりです。シモン〔別名ペテロ〕、アンデレ〔ペテロの兄弟〕、ヤコブ〔ゼベダイの息子〕、ヨハネ〔ヤコブの兄弟〕、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ〔取税人〕、ヤコブ〔アルパヨの息子〕、タダイ、シモン〔「熱心党」という急進派グループのメンバー〕、イスカリオテのユダ〔後にイエスを裏切った男〕です。

伝道の心がまえ

イエスは、次のような指示を与え、弟子たちを派遣されました。「外国人やサマリヤ人のところに行ってはいけません。 イスラエル人のところにだけ行きなさい。この人たちは神の囲いから迷い出た羊です。 彼らのところに行って、『神の国は近づいた』と伝えなさい。 病人を治し、死人を生き返らせ、ツァラアトの人を治し、悪霊を追い出しなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

お金は、たとえわずかでも持って行ってはいけません。 10 旅行袋や着替え、くつ、それに杖も持って行ってはいけません。そういうものは、あなたがたが助けてあげる人たちから世話してもらいなさい。それが当然のことです。 11 どんな町や村に入っても、神を敬う人を見つけ、次の町へ行くまで、その家に泊まりなさい。 12 泊めてもらう時は、その家の祝福を祈りなさい。 13 もし神を敬う家庭なら、その家は必ず祝福されるし、そうでなければ、祝福されないでしょう。 14 あなたがたを受け入れない町や家があったら、そこを立ち去る時、足のちりを払い落としなさい。 15 よく言っておきますが、さばきの日には、あの邪悪なソドムとゴモラの町(悪行のため、神に滅ぼされた町)のほうが、その町よりまだ罰が軽いのです。

16 いいですか。あなたがたを派遣するのは、羊を狼の群れの中へ送るようなものです。ですから、蛇のように用心深く、鳩のように純真でありなさい。 17 気をつけなさい。あなたがたは捕らえられて裁判にかけられ、会堂でむち打たれるからです。 18 わたしのために、総督や王たちの前で取り調べられるでしょう。その時、わたしのことを彼らと世の人々にあかしすることになります。

19 逮捕されたら、どう釈明しようかなどと心配することはありません。その時その時に適切なことばが与えられます。 20 釈明するのは、あなたがたではありません。あなたがたの天の父の御霊が、あなたがたの口を通して語ってくださるのです。

21 身内からさえ迫害が起こります。 22 わたしの弟子だというので、あなたがたはすべての人に憎まれます。けれども、最後まで耐え忍ぶ者は救われるのです。 23 一つの町で迫害されたら、次の町に逃げなさい。あなたがたがイスラエルの町を全部めぐり終えないうちに、わたしは戻って来るからです。

24 生徒は先生にまさることはなく、使用人は主人より上ではありません。 25 生徒は先生のようになれたら十分だし、使用人は主人のようになれたら十分です。主人のわたしがベルゼブル(サタン)と呼ばれるくらいなのだから、ましてあなたがたは、どんなひどいことを言われるでしょうか。 26 しかし、脅迫する者たちを恐れてはいけません。やがてほんとうのことが明らかになり、彼らがひそかに巡らした陰謀は、すべての人に知れ渡るからです。

27 わたしが今、暗闇で語ることを、明るいところで大声でふれ回りなさい。わたしがあなたがたの耳にささやいたことを、屋上から言い広めなさい。

28 体だけは殺せても、たましいには指一本ふれることもできないような人々を、恐れてはいけません。たましいも体も地獄に落とすことのできる神だけを恐れなさい。 29 たった一羽の雀でさえ、あなたがたの天の父の許しなしに地に落ちることはありません。 30 あなたがたの髪の毛さえ一本残らず数えられています。 31 ですから、心配しなくてもいいのです。あなたがたは神にとって、雀より、ずっと大切なものではありませんか。

32 もしあなたがたが、だれの前でも、『私はイエスの友だ』と認めるなら、わたしも、天の父の前で、あなたがたをわたしの友だとはっきり認めましょう。 33 しかし、もし人々の前で、『イエスなど知らない』と言うなら、わたしもまた天の父の前で、あなたがたを知らないと、はっきり言うでしょう。

34 わたしが来たのは、地上を平和にするためだ、などと誤解してはいけません。平和ではなく、むしろ争いを引き起こすために来たのです。 35 そうです。息子を父親に、娘を母親に、嫁をしゅうとめに逆らわせるためです。

36 家族の者さえ敵となる場合があるのです。 37 わたし以上に父や母を愛する者は、わたしを信じる者にふさわしくありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしを信じる者にふさわしくありません。 38 さらに、自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしを信じる者にふさわしくありません。

39 自分のいのちを一生懸命守ろうとする者は、それを失いますが、わたしのためにいのちを捨てる者は、それを自分のものとします。

40 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった神を受け入れているのです。 41 もし預言者を、神から遣わされた預言者だというので受け入れるなら、預言者と同じ報いを受けるでしょう。また、神を敬う正しい人たちを、彼らが神を敬うというので受け入れるなら、彼らと同じ報いを受けます。

42 また、この小さい者のひとりに、わたしに代わって冷たい水一杯でも与えるなら、よく言っておきますが、その人は必ず報いを受けるのです。」

11 イエスは、十二人の弟子たちにこのような指示を与えると、ご自分も教え、宣べ伝えるために、彼らが行くことになっていた町々へお出かけになりました。

ヨハネとイエスの違い

さて、そのころ牢獄にいたバプテスマのヨハネは、キリストがさまざまな奇跡を行っておられることを聞きました。そこで、弟子たちをイエスのもとに送り、 「あなたはほんとうに、私たちの待ち続けてきたお方ですか。それとも、まだ別の方を待たなければならないのでしょうか」と尋ねさせました。

イエスは答えて言われました。「ヨハネのところに帰り、わたしの行っている奇跡について、見たままを話しなさい。 盲人は見えるようになり、足の立たなかった者が今は自分で歩けるようになり、ツァラアトの人が治り、耳の聞こえなかった人も聞こえ、死人が生き返り、そして、貧しい人々が福音を聞いていることなどを。 それから、こう伝えるのです。『わたしを疑わない人は幸いです。』」

ヨハネの弟子たちが帰ってしまうと、イエスは群衆に、ヨハネのことを話し始められました。「あなたがたはヨハネに会おうと荒野へ出かけて行った時、彼をどんな人物だと考えていましたか。風にそよぐ葦のような人だとでも思っていたのですか。 それとも宮殿に住む王子のように、きらびやかに着飾った人に会えるとでも思ったのですか。 あるいは、神の預言者に会えると期待していたのですか。そのとおり彼は預言者です。いや、それ以上の者です。 10 彼こそ、聖書の中で、『見よ。わたしはあなたより先に使者を送る。その使者は、人々にあなたを迎え入れる準備をさせる』マラキ3・1と言われている、その人です。

11 よく言っておきます。今までに生まれた人の中で、バプテスマのヨハネほどすぐれた働きをした人はいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、ヨハネよりずっと偉大なのです。 12 ヨハネが教えを宣べ伝え、バプテスマ(洗礼)を授け始めてから現在まで、多くの熱心な人々が天国を目指して押し寄せました。 13 すべての律法と預言者(旧約聖書を指す)とは、メシヤ(救い主)を待ち望んできたからです。そして、ヨハネが現れました。 14 ですから、わたしの言うことを喜んで理解しようとする人なら、ヨハネこそ、天国が来る前に現れると言われていた、あの預言者エリヤだとわかるでしょう。 15 さあ、聞く耳のある人は聞きなさい。

16 あなたがたイスラエル人のことを、何と言えばいいでしょう。まるで小さな子どものようです。あなたがたは友達同士で遊びながら、こう責めているのです。 17 『結婚式ごっこをして遊ぼうと言ったのに、ちっともうれしがってくれなかった。だから葬式ごっこにしたのに、今度は悲しがってくれなかった。』 18 つまり、バプテスマのヨハネが酒も飲まず、また何度も断食していると、『あいつは気が変になっている』とけなし、 19 メシヤのわたしがごちそうを食べていると、『大食いの大酒飲み、最もたちの悪い罪人の仲間だ』とののしります。もっとも、賢いあなたがたのことですから、うまくつじつまを合わせるでしょうが、知恵が正しいかどうかは、行いによって証明されるのです。」

わたしのところに来なさい

20 それからイエスは、多くの奇跡を目のあたりに見ながら、それでも、神に立ち返ろうとしなかった町々を責められました。

21 「ああ、コラジンよ。ああ、ベツサイダよ。わたしがあなたがたの街頭で行ったような奇跡を、あの邪悪な町ツロやシドン(悪行のため、神に滅ぼされた町)で見せたなら、そこの人々は、とうの昔に恥じ入り、へりくだって悔い改めていたでしょうに。 22 いいですか、さばきの日にはツロとシドンのほうが、あなたがたよりまだましなものとされるのです。 23 ああ、カペナウムよ。大きな名誉を受けたあなたも、地獄にまで突き落とされるのです。あなたのところでしたすばらしい奇跡を、もしあのソドムで見せたなら、ソドムは滅ぼされずにすんだでしょうに。 24 いいですか、さばきの日には、ソドムのほうがあなたより、まだましなものとされるのです。」

25 そして、こう祈られました。「ああ、天地の主である父よ。自分を賢いとうぬぼれる者たちには、あなたの真理を隠し、それを小さな子どもたちに示してくださって、ありがとうございます。 26 父よ。これが、お心にかなったことでした。

27 あなたは、すべてのことを、わたしに任せてくださいました。わたしを知っておられるのは、父であるあなただけですし、あなたを知っているのは、子であるわたしと、わたしが教える人たちだけです。

28 重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。 29 わたしはやさしく、謙遜な者ですから、負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。 30 わたしが与えるのは軽い荷だけだからです。」

安息日をも支配するイエス

12 そのころのことです。イエスは弟子たちといっしょに、麦畑の中を歩いておられました。ちょうど、ユダヤの礼拝日にあたる安息日(神の定めた休息日)でしたが、お腹がすいた弟子たちは、麦の穂を摘み取って食べ始めました。

ところが、それを見た、あるパリサイ人たちが言いました。「あなたの弟子たちがおきてを破っている。安息日に刈り入れをするなど、もってのほかだ。」

しかし、イエスは言われました。「ダビデ王とその家来たちが空腹になった時、どんなことをしたか、聖書で読んだことがないのですか。 ダビデ王は神殿に入り、祭司しか食べられない供え物のパンを、みんなで食べたではないですか。ダビデ王でさえ、おきてを破ったわけです。 また、神殿で奉仕をする祭司は安息日に働いてもよい、と聖書に書いてあるのを読んだことがないのですか。 ことわっておきますが、このわたしは、神殿よりもずっと偉大なのです。 もしあなたがたが、『わたしは供え物を受けるより、あなたがたにあわれみ深くなってほしい』ホセア6・6という聖書のことばをよく理解していたら、罪もない人たちをとがめたりはしなかったはずです。 安息日といえども、天から来たわたしの支配下にあるのですから。」

このあと、イエスは会堂にお入りになりました。 10 ふとごらんになると、そこに、片手の不自由な男がいました。ここぞとばかり、パリサイ人たちは、「安息日に病気を治してやっても、おきてに違反しないでしょうか」と尋ねました。それは、イエスがきっと「さしつかえない」と答えるだろうから、そうしたら逮捕しようという計略でした。 11 ところが、イエスの答えは違いました。「あなたがたが、羊を一匹飼っていたとします。ところが、その羊が安息日に井戸に落ちてしまった。さあ、どうしますか。もちろん、すぐに助けてあげるでしょう。 12 人間の価値は、羊とは比べものになりません。だから安息日に良いことをするのは、正しいことなのです。」 13 それからイエスは、片手の不自由な男に、「手を伸ばしなさい」と言われ、彼がそのとおりにすると、手はすっかりよくなりました。

14 そこでパリサイ人たちは、どうにかしてイエスを逮捕し死刑にしようと、集まって陰謀を巡らしました。 15 しかし、それに気づいたイエスは、いち早く会堂を抜け出しました。すると、大ぜいの人がついて来たので、その中の病人をみないやし、 16 そして彼らに、この奇跡のうわさを言い広めないように注意しました。 17 こうして、イザヤの預言のとおりになったのです。

18 「わたしのしもべを見よ。
彼こそわたしの選んだ者。
わたしが喜ぶ、わたしの愛する者。
わたしは彼の上にわたしの霊を置き、
彼は国々をさばく。
19 彼は争わず、
叫ぶことも大声をあげることもない。
20 弱い者を踏み倒さず、
どんな小さな望みの火も消さない。
ついには、正義に勝利をもたらす。
21 彼の名こそ、全世界の希望となる。」イザヤ42・1―4

22 その時、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られたので、イエスは彼の目を開け、口もきけるようになさいました。 23 これを見た人々は驚いて、「やはり、この人がメシヤ(救い主)ではないだろうか」と言い合いました。

24 しかし、このことを耳にしたパリサイ人たちは、「イエスが悪霊を追い出せるのは、自分が悪霊の王ベルゼブル(サタン)だからだ」とうそぶきました。

25 イエスは彼らの考えを見抜き、こう言われました。「内紛の絶えない国は、結局滅びます。町でも家庭でも、分裂していては長続きしません。 26 もしサタンがサタンを追い出すなら、自分で自分と戦い、自分の国を破壊することになるのです。 27 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うが、あなたがたの仲間も、悪霊を追い出しているではありませんか。彼らは、いったい何の力で追い出しているのですか。あなたがたの非難があたっているかどうか、彼らに答えてもらいましょう。 28 ところで、もしわたしが神の霊によって悪霊を追い出しているとしたら、どうでしょう。神の国はもう、あなたがたのところに来ているのです。 29 強い者の家に押し入って、物を盗み出すにはまず、その強い者を縛り上げなければなりません。悪霊も同じことです。まずサタンを縛り上げなければ、悪霊を追い出せるわけがありません。 30 わたしに味方しない者はみな、わたしの敵なのです。

31-32 だから、あなたがたに言っておきます。どんなにわたしを悪く言おうと、またどんな罪を犯そうと、神は赦してくださいます。ただ一つ、聖霊を汚すことだけは例外です。この罪ばかりは、いつの世でも絶対に赦されることはありません。

33 木の良し悪しは、実で見分けます。良い品種は良い実をつけ、劣った品種は悪い実をつけるものです。 34 ああ、まむしの子らよ。あなたがたのような悪者の口から、どうして正しい、良いことばが出てくるでしょう。人の心の思いが、そのまま口から出てくるのですから。 35 良い人のことばを聞けば、その人の心の中にすばらしい宝がたくわえられていることがわかります。しかし、悪い人の心の中は悪意でいっぱいです。 36 言っておきますが、やがてさばきの日には、あなたがたは今まで口にしたむだ口を、一つ一つ釈明しなければならないのです。 37 あなたがたのことばしだいで、あなたがたの将来は決まります。自分のことばによって、正しい者とされるか、あるいは罪に定められるか、どちらかになるのです。」

証拠を求める人々

38 ある日、ユダヤ人の指導者とパリサイ人のうちの何人かがやって来て、「あなたがほんとうにメシヤなら、その証拠を見せてほしい」と頼みました。

39 しかしイエスは、お答えになりました。「邪悪な不信の時代の人々は、証拠を要求するのです。けれども、預言者ヨナに起こったこと以外は、何の証拠も与えられません。 40 つまり、ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中で過ごしたように、メシヤのわたしも、三日三晩、地の中で過ごすからです。 41 さばきの日には、あのニネベの人々が、あなたがたをきびしく罰する側に立つでしょう。ニネベの人々はヨナの教えを聞いて、それまでの堕落した生活を悔い改め、神に立ち返ったからです。ところが、今ここに、ヨナよりもはるかにまさる者が立っているのに、あなたがたはその人を信じようとしません。 42 シェバの女王でさえ、あなたがたをきびしく罰する側に回るでしょう。彼女は、ソロモンから知恵のことばを聞こうと、あんなに遠い国から旅して来ることもいとわなかったのです。ここに、そのソロモンよりまさる偉大な者がいるのに、あなたがたは信じようとしません。

43 この邪悪な時代に生きる人たちは、ちょうど悪霊につかれた人のようです。せっかくその人から悪霊が出て行っても、しばらくの間、悪霊は別の住みかを求めて荒野をあちこち歩き回るだけです。結局、適当な場所が見つからないので、 44 『もとの家に帰ろう』と帰ってみると、その人の心はきれいに片づけてあり、しかも空っぽです。 45 そこで、しめたとばかり、もっとたちの悪い七つの霊を連れ込んで、住みついてしまうというわけです。こうなると、その人の状態は以前より、はるかに悲惨なものとなります。」

46 イエスが人々のひしめき合う家の中で話しておられた時、母と弟たちがやって来ました。イエスに話したいことがあったからです。 47 だれかが、「先生。お母様と弟さんたちがお見えです」と知らせると、 48 イエスはみんなを見回して、「わたしの母や兄弟とは、いったいだれのことですか」と言われました。 49 そして弟子たちを指さし、「ごらんなさい。この人たちこそわたしの母であり兄弟です。 50 天におられるわたしの父に従う人はだれでも、わたしの母であり、兄弟であり、姉妹なのです」と言われました。

天国のたとえ話

13 その日のうちに、イエスは家を出て、湖の岸辺に降りて行かれました。 2-3 ところがそこも、またたく間に群衆でいっぱいになったので、小舟に乗り込み、舟の上から、岸辺に座っている群衆に、多くのたとえを使って教えを語られました。

「農夫が畑で種まきをしていました。 まいているうちに、ある種が道ばたに落ちました。すると、鳥が来て食べてしまいました。 また、土の浅い石地に落ちた種もありました。それはすぐに芽を出したのですが、 土が浅すぎて十分根を張ることができません。やがて日が照りつけると枯れてしまいました。 ほかに、いばらの中に落ちた種もありましたが、いばらが茂って、結局、成長できませんでした。 しかし中には、耕された良い地に落ちた種もありました。そして、まいた種の三十倍、六十倍、いや百倍もの実を結びました。 聞く耳のある人はよく聞きなさい。」

10 その時、弟子たちが近寄って来て尋ねました。「どうして、人々にはいつも、このようなたとえでお話しになるのですか。」

11 「あなたがたには神の国を理解することが許されていますが、ほかの人たちはそうではないからです。」イエスはこう答え、 12 さらに続けて説明なさいました。「つまり、持っている者はますます多くの物を持つようになり、持たない者はわずかな持ち物さえも取り上げられてしまいます。 13 だから、たとえを使って話すのです。彼らは、いくら見てもいくら聞いても、少しも理解しようとしません。

14 こうして、イザヤの預言のとおりになりました。

『彼らは、聞くには聞くが理解しない。
見るには見るが認めない。
15 その心は肥えて鈍くなり、
その耳は遠く、その目は閉じられている。
彼らは見もせず、聞きもせず、理解もせず、
神に立ち返って、わたしにいやされることがない。』イザヤ6・9―10

16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。 17 よく言っておきますが、多くの預言者や神を敬う人たちが、今あなたがたの見聞きしていることを見たい、聞きたいと、どんなに願ったことでしょう。しかし、残念ながらできなかったのです。

18 さて、さっきの種まきのたとえ話を説明しましょう。 19 最初の道ばたというのは、踏み固められた土のことで、御国についてのすばらしい知らせを耳にしながら、それを理解しようとしない人の心を表しています。こういう人だと、悪魔がさっそくやって来て、その心から、まかれた種を奪い取っていくのです。 20 次に、土が浅く、石ころの多い地というのは、教えを聞いたその時は大喜びで受け入れる人の心を表しています。 21 ところが、その人の心は深みがないので、このすばらしい教えも深く根をおろすことができません。ですから、しばらくして信仰上の問題が起こったり、迫害が始まったりすると、熱がさめ、いとも簡単に離れて行ってしまうのです。 22 また、いばらの生い茂った地というのは、神のことばを聞いても、生活の苦労や金銭欲などがそれをふさいでしまい、しだいに神から離れていく人のことです。 23 最後に、良い地というのは、神のことばに耳を傾け、それを理解する人の心のことです。このような人こそ、三十倍、六十倍、百倍もの実を結ぶことができるのです。」

24 イエスは、別のたとえ話もなさいました。「神の国は、自分の畑に良い種をまく農夫のようなものです。 25 ある晩、農夫が眠っているうちに敵が来て、麦の中に毒麦の種をまいていきました。 26 麦が育つと、毒麦もいっしょに伸びてきました。

27 使用人は主人のところに駆けつけ、このことを報告しました。『ご主人様、大変です! 最良の種をまいた畑に、なんと毒麦も生えてきました。』

28 『敵のしわざだな。』主人はすぐに真相を見抜きました。使用人たちが、『毒麦を引き抜きましょうか』と尋ねると、 29 主人は、『いや、だめだ。そんなことをしたら、麦まで引き抜いてしまうだろう。 30 収穫の時まで、放っておきなさい。その時がきたら、まず毒麦だけを束ねて燃やし、あとで麦はきちんと倉庫に納めればよいのだ』と答えました。」

31 またイエスは、こんなたとえも話されました。「天国は、畑にまいたからし種のようなものです。 32 それはどんな種よりも小粒ですが、成長すると大きな木になり、鳥が巣を作れるほどになります。」

33 さらに、こんなたとえも話されました。「神の国は、女の人がパンを焼くのにも似ています。小麦粉に、ほんの少しのパン種(パンの製造に使用する酵母)を入れるだけで、パン生地全体がふくらんできます。」

34-35 群衆に話をする時、イエスはいつも、このようにたとえで語られました。それは、預言者によって言われたことが実現するためでした。「わたしはたとえを使って語り、世の初めから隠されている秘密を説き明かそう。」 36 こうしてイエスが群衆と別れ、家に入られると、弟子たちは、さきほどの毒麦のたとえの意味を説明してほしいと願いました。

37 イエスは、お答えになりました。「いいでしょう。良い麦の種をまく農夫とは、わたしです。 38 畑とはこの世界、良い麦の種というのは天国に属する人々、毒麦とは悪魔に属する人々のことです。 39 畑に毒麦の種をまいた者とは悪魔であり、収穫の時とはこの世の終わり、刈り入れをする人とは天使たちのことです。

40 この話では、毒麦がより分けられ、焼かれますが、この世の終わりにも同じようなことが起こります。 41 わたしは天使を送って、人をそそのかす者や悪人たちをより分け、 42 炉に投げ込んで燃やしてしまいます。悪人たちは、そこで泣いて歯ぎしりするのです。 43 その時、正しい人たちは、父の国で太陽のように輝きます。聞く耳のある人はよく聞きなさい。

44 神の国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。見つけた人はもう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。

45 また神の国は、良質の真珠を探している宝石商のようなものです。 46 彼はすばらしい価値のある真珠を見つけると、持ち物全部を売り払ってでも、それを手に入れようとするのです。

47-48 また神の国は、漁師にたとえることもできます。漁師は、いろいろな魚でいっぱいになった網を引き上げると、岸辺に座り込んで網の中の魚をより分けます。食べられるものはかごに入れて、食べられないものは捨てるというふうに。 49 この世の終わりにも、同じようなことが起こります。天使がやって来て、正しい者と悪い者とを区別し、 50 悪い者を火に投げ込むのです。彼らはそこで泣きわめいて、くやしがります。 51 これでわかりましたか。」

弟子たちは、「はい」と答えました。

52 そこでイエスは、さらにこう言われました。「ユダヤ人のおきてに通じ、しかも、わたしの弟子でもある人たちは、古くからある聖書の宝と、私が与える新しい宝と、二つの宝を持つことになるのです。」

故郷の町ナザレでのイエス

53-54 これらのたとえを語り終えると、イエスはガリラヤのナザレに帰り、町の会堂で教えられました。すると、人々はみなイエスの知恵とその不思議な力に驚きました。「なんということだ。 55 あの人は、たかが大工の息子ではないか。母親はマリヤで、弟のヤコブも、ヨセフも、シモンも、ユダも、 56 妹たちも、おれたちはよく知っている。みんなここに住んでいるのだから。あのイエスがどれほどの人だというのか。」 57 こうして人々は、かえってイエスに反感を持つようになりました。「預言者はどこででも尊敬されますが、ただ自分の故郷、身内の者の間ではそうではないのです」と、イエスは言われました。 58 このような人々の不信仰のために、そこでは、ほんのわずかの奇跡を行われただけでした。

殺されたヨハネ

14 そのころ、イエスのうわさを聞いたヘロデ王(ヘロデ・アンテパス)は、回りの者に言いました。 「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが生き返ったに違いない。そうでなければ、あんな奇跡ができるわけがない。」 実はこのヘロデは以前、兄のピリポの妻であったヘロデヤのことが原因でヨハネを捕らえ、牢獄につないだ張本人でした。 それは、ヨハネが、兄嫁を奪い取るのはよくないとヘロデを責めたからです。 その時ヘロデは、ヨハネを殺そうとも考えましたが、それでは暴動が起きる恐れがあったので思いとどまりました。人々がヨハネを預言者だと認めていたからです。

ところが、ヘロデの誕生祝いが開かれた席で、ヘロデヤの娘がみごとな舞を披露し、ヘロデをたいそう喜ばせました。 それで王は娘に、「ほしいものを何でも言うがよい。必ず与えよう」と誓いました。 ところがヘロデヤに入れ知恵された娘は、なんと、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきたいと願い出たのです。

王は後悔しましたが、自分が誓ったことでもあり、また並み居る客の手前もあって、引っ込みがつきません。しかたなく、それを彼女に与えるように命令しました。

10 こうしてヨハネは、獄中で首を切られ、 11 その首は盆に載せられ、約束どおり娘に与えられました。娘はそれを母親のところに持って行きました。

12 ヨハネの弟子たちは死体を引き取って埋葬し、この出来事をイエスに知らせました。

13 この知らせを聞くと、イエスは舟をこぎ出し、ご自分だけで人里離れた所へ行こうとなさいました。ところが、大ぜいの群衆がそれと気づき、町々村々から、岸づたいにイエスのあとを追って行きました。

五つのパンと二匹の魚

14 舟から上がったイエスは群衆をごらんになり、あわれに思って、彼らの病気を治されました。

15 夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て、「先生。もうとっくに夕食の時間も過ぎています。こんな寂しい所では食べ物もないですし、みんなを解散させてはどうでしょう。村へ行けば、めいめいで食べる物を買えますから」と勧めました。

16 しかし、イエスはお答えになりました。「それにはおよびません。あなたがたで、みんなに食べる物をあげなさい。」

17 弟子たちはイエスに言いました。「先生、今手もとには、小さなパンが五つと、魚が二匹あるだけです。」

18 ところがイエスは、「そのパンと魚とを持って来なさい」と言われました。

19 それから群衆を草の上に座らせると、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神の祝福を祈り求め、パンをちぎって、弟子たちに配らせました。 20 こうしてみんなが食べ、満腹したのです。あとで余ったパン切れを拾い集めると、なんと十二のかごにいっぱいになりました。 21 そこには、女性や子どもを除いて、男だけでも五千人ぐらいの人がいました。 22 このあとすぐ、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて向こう岸に向かわせ、また、群衆を解散させられました。

23 みんなを帰したあと、ただお一人になったイエスは、祈るために丘に登って行かれました。 24 一方、湖上は夕闇に包まれ、弟子たちは強い向かい風と大波に悩まされていました。

25 朝の四時ごろ、イエスが水の上を歩いて弟子たちのところに行かれると、 26 弟子たちは悲鳴をあげました。てっきり幽霊だと思ったのです。

27 しかし、すぐにイエスが、「わたしです。こわがらなくてよいのです」と声をおかけになったので、彼らはほっと胸をなでおろしました。

28 その時、ペテロが叫びました。「先生。もしほんとうにあなただったら、私に、水の上を歩いてここまで来いとおっしゃってください。」

29 「いいでしょう。来なさい。」言われるままに、ペテロは舟べりをまたいで、水の上を歩き始めました。 30 ところが高波を見てこわくなり、沈みかけたので、大声で、「主よ。助けてください」と叫びました。

31 イエスはすぐに手を差し出してペテロを助け、「ああ、信仰の薄い人よ。なぜわたしを疑うのです」と言われました。 32 二人が舟に乗り込むと、すぐに風はやみました。

33 舟の中にいた者たちはみな、「あなたはほんとうに神の子です」と告白しました。

34 やがて、舟はゲネサレに着きました。 35 イエスが来られたという知らせはたちまち町中に広まり、人々がどっと押しかけました。互いに誘い合い、病人という病人をみな連れて来て、 36 イエスに頼みました。「せめてお着物のすそにでもさわらせてやってください。」そして、さわった人たちはみな治りました。

規則より大切なもの

15 パリサイ人やユダヤ人の指導者たちが、イエスに会いに、エルサレムからやって来ました。 彼らはイエスに、「どうしてあなたの弟子たちは、先祖の言い伝えを守らないのか。食事の前に手を洗わないのはどうしてか」と迫りました。

そこで、イエスは言われました。「それならお聞きします。あなたがたも自分たちの言い伝えのために、神の戒めを破っています。それはどういうわけですか。 たとえば、律法には、『あなたの父と母とを敬え。だれでも父や母をののしる者は死刑に処せられる』とあります。 5-6 ところが、どうでしょう。あなたがたは、両親が困っていようと何だろうと、『このお金は神にささげました』と言いさえすれば、もう両親のためにそのお金を使わなくてもよいと教えています。つまり、人間の作った規則を盾にとって、両親を敬い、そのめんどうをみなさいという神の戒めを破っているのです。 まさに偽善者です。イザヤが預言したとおりです。

『彼らは口先ではわたしを敬うが、

心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。
神のおきての代わりに、
人間の規則を教えているのだから。』イザヤ29・13

10 それからイエスは、群衆を呼び寄せて言われました。「いいですか、よく聞きなさい。 11 禁じられている物を食べたからといって、それで汚れるわけではありません。人を汚すのは、口から出ることばであり、心の思いなのです。」

12 その時、弟子たちが来て言いました。「先生があんなことをおっしゃったので、パリサイ人たちはかんかんに怒っています。」

13 しかし、イエスは言われました。「わたしの父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎ抜かれてしまいます。 14 だから、あの人たちのことは放っておきなさい。彼らは盲目なのです。おまけに、ほかの盲人の手引きまでして、結局、二人とも溝に落ちてしまうでしょう。」

15 すると、ペテロが尋ねました。「きよくないとされている物を食べても汚れない、と先生がおっしゃるのは、どうしてですか。」

16 イエスは言われました。「そんなことがわからないのですか。 17 口から入る物は何でも腹に入って、外へ出てしまいます。 18 ところが、悪いことばは悪い心から出てくるので、人を汚すのです。 19 つまり、悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、うそ、また悪口などは、心から出て、 20 人を汚すのです。しかし、食事の前に手を洗うという規則を破ったからといって汚れるわけではありません。」

21 イエスはその地方を去り、ツロとシドンに向かわれました。

数々の奇跡

22 この地方に住んでいるカナン人の女がイエスのところに来て、必死に願いました。「主よ。ダビデ王の子よ!お願いです。どうか、私をあわれと思ってお助けください。娘が悪霊に取りつかれて、ひどく苦しんでいるのです。」

23 しかし、イエスは堅く口を閉ざして、ひとこともお答えになりません。とうとう弟子たちが、「あの女に早く帰るように言ってください。うるさくてしかたがありません」と頼みました。

24 それでイエスは、「わたしが遣わされたのは、外国人を助けるためではありません。ユダヤ人を助けるためです」と説明なさいました。

25 それでも女は、イエスの前にひれ伏し、「主よ。どうかお助けください」と願い続けました。

26 イエスは、「子どもたちのパンを取り上げて、犬に投げてやるのはよくないことです」と言われました。

27 しかし、女はあきらめませんでした。「おっしゃるとおりです。でも、食卓の下にいる小犬でも、落ちたパンくずぐらいは食べさせてもらえます。」

28 そのことばにイエスは感心し、「あなたの信仰は見上げたものです。いいでしょう。願いをかなえてあげましょう」と言われました。その時から、彼女の娘は治りました。

29 さて、再びガリラヤ湖に移ります。イエスは丘に登り、腰をおろしておられました。 30 そこへ、大ぜいの人が、足の不自由な者、盲人、体の不自由な者、口のきけない者をはじめ、たくさんの病人を連れて来たので、イエスはその人たちをいやされました。 31 なんという驚くべき光景でしょう。口のきけなかった者が興奮して話しだし、歩けなかった者が歩きだし、盲人が見えるようになったのです。人々は驚き、心からイスラエルの神をほめたたえました。

32 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われました。「この人たちがかわいそうです。もう三日もわたしといっしょにいて、食べ物はとっくになくなっています。このまま帰らせたら、きっと途中で倒れてしまうでしょう。」

33 「でも、こんな寂しい所で、これほどたくさんの人です……。それだけの食べ物を、いったいどこで手に入れるのですか。」

34 「今、手もとにどれぐらい食べ物がありますか」「パンが七つと、小さい魚がほんの少しだけです。」

35 それを聞くと、イエスはみんなを地べたに座らせました。 36 そして、七つのパンと魚を取り、神に感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに渡して、一人一人に配らせました。 37-38 女性や子どもを除いても、四千人もの群衆でしたが、だれもが満腹するほど食べました。あとでパンくずを拾い集めると、なんと七つのかごがいっぱいになりました。

39 そこで、イエスは人々を家に帰し、舟に乗ってマガダン地方へ向かわれました。

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